夜、ツタヤへ本を買いに出かけると通り道で、例年の如く蛙の大合唱が響いてきました。5月末から6月初旬にこの道を夜歩くと、昨年と同じように、蛙の大合唱が聴けるので、心なしか楽しみにしている自分がいます。ある時は、「あんまり頑張って合唱してるので、疲れないかな」と思ったり、「田んぼに水が並々と張られて、よっぽど嬉しいのかな」と思ったり、自分の心の状態に合わせて感じ方が違うのですが、そのあと、心に浮かんでくるのは「命の不思議」です。この声を聞くと、今年も田植えが終ったことを知り、小さな苗がだんだんと成長し、暑い夏には深い緑の田んぼになって、秋には、黄金の実りがたわわに垂れ下がっている状態をイメージします。農耕民族である日本人にとっては、なじみの深い田植えの景色なのですが、私はこの時期、小さな、幼い苗が、田んぼの並々とした水面からやっと顔を出しているのを眺めるのが大好きです。特に思い出すのは、新潟の穀倉地帯の田んぼの景色です。植えられたばかりの苗が、「今年もがんばります」という感じで、ゆらゆら風に揺れながら、赤ちゃんの巻毛の先がチョコンと水面から出ているように見えるので、なんとも幸せな気持ちになります。この景色を眺めていたのが、子育ての時期と重なっていたせいかもしれませんが、私の心に焼きついていて、「新しい出発」「新しい実り」という未来への期待感が生まれてきます。ということで、今年の田植えの後の写真を紹介いたします。
青い空、風と水と苗、この景色も、愛情込めてお米作りをされている農家の人たちの愛情なくして見ることはできません。それも今回限りではなくて、毎年毎年とお米作りに愛情を注いでいるから、楽しめる風景であるわけです。
風が吹きぬけていかないと風でなくなるように、愛も持続を伴わなれば愛でなくなる・・・そんなことを思いました。