◆院長挨拶
みなさんこんばんは。
ところせましとスタッフの方がいていいですね。歓迎していただいてありがとうございます。結婚披露宴の様な気持ちでお話させていただきます。
8月1日っていうのはいつも晴れる日になっているはずなんですが、今日はちょっとイマイチでしたね。こういう日もあるんですね。天気に関しては絶対こうだとか言えないんだなって思います。先代の時は今年も晴れたぞ、また今年も暑いぞっていつも言っていたような気がするんですけどね。なかなか60年近くやっているとそうもいかない日もあるんだと感じました。
59周年と言う事で、私が来たのも35歳の頃で、かれこれ27年位になります。東棟が完成した時は私にも、とても燃えるものがあってどうしたら良い建物が出来るか研究し、いろんな病院を職員と共に見て回ってから建てたんですが、15年経つんですね。早いですね。電子カルテが入って南棟が出来て2年ちょっとかななんて言っていたら医局で宮下先生が3年経つんだねと言っていて、確かに3年ちょっと経つんですね。光陰矢のごとしなんて言葉もありますが、いろいろ辛い事とか嫌な事もあったんでしょうけど、振り返ると何があったんだろうというくらい早いです。
私が来たころは医師2人で頑張っていましたがお陰様で医師も10人になりました。職員当時70人位いたかな。今は280人位になって、本当に大所帯になって、外から見ても病院は大きくなって立派になりましたねと言われます。確かに建物が広くなって、患者さんの療養環境も間違いなく胸を張って良くなったと思います。
最近嬉しいのは中学生、高校生、大学生が実習や見学に来てくれて精神科病院を特殊な所じゃないとみてくれる事です。いろんな感想をもってくれるんですけど、こんな感想がありました。ある中学生の感想ですが、精神科病院っていうと暗くて怖い閉鎖的な所だと思ってきたけど、明るくて優しい所なんだと思ったというのがあって、嬉しかったです。たぶん正直に書いてくれたと思うんです。明るくってというのは建物で光をさんさんと取りこむ造りにしたので、まず合格できる建物になったかなと思います。優しいっていうのはみなさんですね。いろんな方が見学に来てくれて、良く分かんないんだけどホッとするだとか雰囲気良いですよって言ってくれる方が結構いるんですよね。それはみなさん一人一人の持っている心の状態が全体を作ってくれているに違いないと思います。これは先代の言葉でいうと平たい言葉なんだけど、患者さんには優しくしてね、ご家族にも優しく接してねというその伝統が間違いなく続いていると思っています。これは継承しつつ更に質を上げていかなくちゃいけない部分ですね。建物は私の代では一旦区切りになるのであとは私たちが醸し出す雰囲気を、そしてヒューマンサービスの質を上げていくことにつきるのかなと思います。今日から研修医の先生が篠ノ井病院から来てくれていますが、外から来た人の素直な心で良かった点、おかしいなと思った点を必ず書いてくれと来た人みんなに言っていますが、それはすごく病院を良くする上で役に立っていますね。だからいろんな人が病院に入ってくると思いますけど、関心を持ってくれて良い事悪い事ちゃんと見てくれる人に見学等して頂くのは積極的に受け入れていこうと思っています。
ちょうど去年の開院記念式典が終わった後なんで今日は話してもいいと思うんですが、1年前に新潟県の鯖江市から小学校5年生6年生数十人が来てくれて、いわゆる修学旅行の一環で精神科の病院で食事をして少し交流をするというなんだか考えられないような嬉しい出来事でした。たまたま先代の奥様が出た学校という縁があってそういうことは本当に良かったなと、これからも小学生が来てもあまりびっくりしないような病院であり続ければ、なお良いなと思います。
もうひとつ、45周年の時に92歳になる日野原重明先生が上田に来てくれました。千曲荘病院で私たちがお呼びしたんですね。たぶん上田市では初めてだったんじゃないでしょうか。500人位の方が来てくれて、この壇上よりもう少し高い壇でしたかね、ポンって階段を使わずに飛び上がって乗ったのを覚えてる方もいますかね。お元気だった日野原先生もこの7月に105歳で旅立たれましたね。高齢まで健康でおられた先生がどういう最期を迎えるのかなって私なりにも気にしてたんですけど、今年の3月くらいからやっぱりちょっと食事がとりにくくなって、でも胃瘻とかいろんな方法があると提案しても、いらないとご自宅に戻られて、亡くなる2週間前からはほとんど食事がとれなくなった状態で、静かに旅立たれたそうですね。本当に私たちのモデルになる旅立ち方だなと思いました。当院は、精神科病院ですが、生きていくこととか亡くなることとかいつも意識してこの病院は成り立っていきたいです。認知症の人も良かったなって思ってもらえる最期を迎えられるような病院にしていきたいです。それは障害者の人もどんな人もみんな大切にされている、大切にしているっていうことを地域の中へ発信していけるという面がある。精神障害者を大事にするっていうことと同じことだと信じています。
今日は昭和33年8月1日に遠藤利治が熱い思いで、精神障害の人を健康で社会で生きて欲しいという願いで病院を始めたことは間違いないです。反対運動が起こっても一生懸命話し合いの中で地域の人に理解してもらいながらここに至っている、その熱い思いだけはこれから働いていく人みんなが継承していかないといけないと思っています。そういうことをみんなにお願いして今日の59周年記念式典の私からの挨拶とさせていただきます。
◆勤続30年勤務者デイケア「チャンス」主任竹内守道 代表挨拶
今日は、59回目の開院記念日、真におめでとうございます。
千曲荘病院は、常に精神科医療の最前線にあり、精神障がい者への献身的な治療を実践する病院であります。戦後、黎明期にあった精神科医療は、偏見と無理解の嵐だったといえます。創始者である前理事長、遠藤利治先生は、荒波の中船出したことをいつもお話くださっていました。「開院記念日は決まって晴れだ」とのお言葉は、「千曲荘病院がいつも前向きであれ」と、ねじを巻く風物詩でした。
このたびは、私共、永年勤続者及び功労者八名を表彰していただき、感謝申し上げます。四十年・五十年という実績をお持ちの方、私ども以上に長きに渡り医療に携わる方がいらっしゃる中、ご評価いただけることは、この上ない賞賛であり、これからの励みとなります。
千曲荘病院五十九年の歴史については、別の場でお伝えするとして、私が三十年間、ひとつの職場で働き続けられたことを振り返らせていただきたいと思います。
一、「人との関わり」:皆様ご存知の通り、私は、散漫で思慮に欠ける特性があります。諸先輩方はもとより、患者様にも多大なご迷惑をかけて参りました。そんな私を見捨てることなくご指導いただきました。これは、「きちんと叱ってくれる大人がいた」ということであり、このご恩を次の世代に引き継ぐべく、職場や地域での人材育成に関わることで、お返しするよう心がけています。
二、「学びに救われた」:学校の勉強は苦手ですが、要所要所で、必要かつ有効な学びの場を提供していただけたことは、「本当の学びをした」「成長出来た」という実感を得ました。認知症研修や実習指導者養成講座は特に印象深く、知識や技術だけでなく人脈を得ることが出来ました。
三、「役割を持つ」:職場での役割は当然ですが、地域においてもいくつか役割を持たせていただいています。看護師としての知識や技術が、地域活動や趣味に生かされ、貢献できていることは、幸せといえます。
ここで、「いただいたご褒美の行方」についてお話いたします。
永年勤続者表彰制度には、臨時賞与が付加されるわけですが、今迄どのように使われたと思いますか?私は、「資格取得」や「保険加入」に使わせていただきました。小心者で能力も他人より劣り、無茶な行動が多い私は、それを補うための武装に費やしたわけです。一例として自動二輪免許・大型免許・上小漁業組合加入・個人年金などです。あくまでも個人的なことですが、お勧めします。
職や友を得て、資格を持ち・家庭を持つなど、様々な経験や喜びを得た三十年ですが、遠藤利治先生ご存命中に、最期のひと時に関わらせていただけたことは、感慨深いものがあります。患者様の看取りや肉親の介護など、この「三十年」は、世代交代と向き合う時間でもあります。
これからも、皆様にご迷惑をかけながら、また、うるさがられながら千曲荘病院の更なる発展と、障害者支援に尽力して参りたいと思います。
本日は、真にありがとうございました。
◆安藤副院長先生 乾杯の挨拶
30年、20年、10年と勤続表彰と何の関係もないですけど、その30、20、10年で30年前っていうと何があったかと考えました。30年前はまだコンピュータがあまりなくてですね、それからしばらくして私も仕事でコンピュータを何十万も出して買ったということも思い出しました。20年前はどうだったかっていうと私が勤めていた病院は、ポケベルで呼ばれるっていうそういう時代だったと思います。それからさらに10年経った10年前はまだスマートフォンなんてものはなくてですね、それから少ししてだんだん入ってきて。携帯は当時もありましたけれど。だんだんテクノロジーが変わっていって、今は本当にスマホでいろいろできちゃって、入院する患者さんもスマホを使わせるか使わせないかってことを考えなくちゃいけない。いろいろ変わっている中で30年とってからないものは何かっていうと、やっぱりみなさん、人だと思うんですね。人は変わらない。もう30年経ってもみなさんがいなくなってみんなロボットになっているってことはないのかなと。私ももしかしたらロボットにとってかわられるかもしれないですけど。まあそんなことはないのかなと思っております。まあそんなことでいつも思っているのは人が病院の財産であると思うので、またこうして来年もみなさんと60周年を祝えることを私も期待しております。