1月はお葬式が多く別れの悲しみを感じた月でした。月間保団連12月号に【母を看取って】武田一士氏(歯科医)の投稿があり、心に響いた部分が多かったので、抜粋して紹介します。
「自宅にて愛する母を看取りました。享年89歳。略、今の医学は「病気」を治しているが、結果として「患者」を増やしているのかもしれません。病気に対する攻めの姿勢が強く、守りの姿勢には不慣れなように思います。病を見て人を見ないことが多いのか、忙しくてゆとりがないのか・・。日に日に母がマイナス成長していくのが分かりました。独り歩きが、つかまり歩きになり、支え歩きになり、3歳児が2歳児になり、1歳児になり、新生児になっていくのです。体重が25キロを割り、自力でトイレにも行けない、入浴もできない、目の前のものが取れない・・といった状態になりました。軟食が流動食になり、水差しやスプーンで口元までもっていかなければなりません。これでいいのかと日々思いましたが、かく言う私も、昔は赤ん坊でお世話になりました。・・衰えて赤ん坊に戻っていくのは命あるもの、天地宇宙、森羅万象の法則だと思います。生命あるものの悠久の昔から死を自然として受容し、やがて99%ではなく100%、永遠の国に旅立つのです。・・最後の息を吸い込み吐かずに息を引き取りました。赤ん坊が母の胎内で吸い込んだ空気をこの世に吐き出すときに産声を上げますが、呼気は死を、吸気は生を意味するのでしょうか。・・仏前でケアマネージャーに、赤ちゃんが生まれる時に助産婦さんがいるように、永久に旅立つ人のための【助死者】になってほしいといいました。【死の受容】を助け、家族の【死の受容】を助けるような、まだ残された家族に対するグリーフケア、人を喪った悲しみ、心痛を癒すような役割の一部をしっかり担ってほしいと思います。
すべての人が迎える死に対する教育、これができる学校がほしいですし、まさに助死者の役割を担える病院になれたらいいなあと思います。老いていく両親の姿を見ているので、ここに書かれていることがリアルに分かります。どんな人も赤ちゃんの時は何一つできず、泣くことでしか表現できません。両親や祖父母など、誰かがいつもそばにいて下さり、あたたかく愛情を注いでくださったおかげで成人となったのに、忘れ去り、全部自分でやって生きてきたような錯覚に陥り慢心していた時期もあったように思います。親となり子供を育ててはじめて親の無償の愛を知り、更に年老いて、赤ちゃんを育てているお母さんの姿を眺めて、自分もまた赤ちゃんだった頃のことを思い出し、愛は円環していることに気づきます。歳をとると、人に頼らざるを得なくなり、申し訳なく思うのですが、だからこそ、今のうちにできる限りの恩返しをしておこうという気持ちになります。武田先生のお母様は、大正、昭和、平成と生き、上海、南京で住み、人として答えようのない問いにも力を尽くし、答えようとした偉大な母であったことも書かれていました。人の一生は、「世界に一つの物語り」であると思っています。私の物語りは、自分が主人公ですから、紆余曲折あれど、最後は感謝で満ちた、美しいエンディングストーリーになることを内心願いながら、今日も新しいシナリオを演じています。