「心療内科からの47の物語」
前書き『人生に偶然の出会いはない』から始まり、再び、あとがきで『「人生に偶然の出会いはない」出会いは広がりをみせながら深まっていきます』で閉じています。読み終わった後の、温かいぬくもりは、どこからくるのでしょう。春の章から始まって冬の章で終るのですが、循環する四季の中に、人間の一生におけるそれぞれの場面を織り交ぜて、一枚の絵になったような本です。一章ずつ味わいながらゆっくりと読ませていただきました。特に冬の章は、今の心境とシンクロしたので、少し長いですが、紹介します。
四季には、それぞれの序奏がある。冬は晩秋と言う序曲によって始まる。きびしく辛い季節が訪れる。寒さが身にしみ、時には絶望と悲しみと孤独だけが一日を支配することもある。死に近づくのではなく、死が向こうから戸をたたき始めるのだ。冬が訪れる。それが老年期に始まりである。私が経験したことのない「人生の季節」である。私は老いた母と老人の患者を通してだけしか冬を感じることができない。いずれ来るだろう私の冬。そのとき、老化と闘うのをやめ、死の不安を克服することを諦めているだろう。目に見えるもののはかなさと、何かをすることの愚かさを知り尽くしているだろう。未来への夢は確実に消えうせ、きっと死と隣り合わせになって、一日だけを愛して生きているだろう。普遍的な何かに導かれ、生かされて生きてきた私をしみじみ味わっているだろう。若かった時の苦い経験や甘美な思い出は、豊かな絵となり音楽となり詩となって、なおいっそう私の中に完全な形で生き続けているだろう。多くの人たちとの出会い、それもマイナスだった出会いにもっとも感謝しているだろう。やがて生と死の間を行き来し、生と死が同じものの一方の側面であることを悟るだろう。・・・略・・・中年期は祈りの次元であった。秋の季節に内面の世界に目を向け、普遍的な世界につながっていることの喜びを知った者だけに豊かな権利が与えられる。銀世界の中の一軒の家から洩れる灯明の温もりのように、老年期には内面の世界が豊かな広がりをみせる。それは老年期だけに与えられた特権ではなかろうか。「なにかをすること」から「あること」に存在の重みが移る・・略・・四季はそれぞれ固有の美しさを魅力を価値を持つが、固有の悲しみと苦痛をともなうものだ。その長い試練に耐えた老人は多くの力や能力を失うにつれ、深い知恵と、沈黙の偉大さと、たえることの味わいと、日々の中に無限に拡大する内面の多様な広がりを獲得する。
諸行無常の世界に生きている私たちですが、目で見える変化していく姿にとらわれすぎず、本質をつかんで生きていきたいものです。釈尊の説かれた「諸行無常と諸法無我」や「色即是空、空即是色」の意味が、心に沁みてきました。