映画『神様のカルテ』

公開された「神様のカルテ」見てきました。本で読んだときより感動したのは、映画に流れるテーマ曲が『辻井伸行』さんによるものだったせいなのか、それとも信州の松本が舞台で、慣れ親しんでいる景色を映像として見て、親近感を感じたからなのか、よく分かりませんが、見終わった後、同じく医療現場にいるものとして感じるものがありました。人がこの世に生まれてくるとき、見守られ、多くの人に祝福されて生まれてくることが多いと思いますが、一方、この世を去るときには、一人暮らしであったり、療養生活をしていたりすると、なかなか家族に見守られて送られるという光景は少なくなってしまった気がします。オギャーと生まれてより後、人はそれぞれ固有の様々な経験を経て、喜怒哀楽を味わいます。失敗や挫折で悩み苦しみ、成功で喜び、人の優しさに感動し、未知なる出会いにトキメキます。出会いの喜びと別れの悲しさを味わい、悩みや苦しみに魂を鍛えられ、年老いて去っていきます。櫻井翔演じる『医師栗原一止』が、末期がん患者さんの最期を送り、御嶽荘の玄関先に座り泣いているシーンは、医師として多くの患者さんを見送っている人に特有の深い悲しみ、無力感でもあり、同時に、末期がんの患者さんから頂いた手紙に込められた感謝の思いに、報われた思いと安堵感による涙だったのかもしれないと思いました。

医療がどんなに頑張っても、生老病死というこの法則の元に、死と対決することはできません。できることは、生命がある限り、その生命が最期まで光を失うことなく小さな光でも輝いていられるようにすることが、医療者がとるべき立場なのかもしれません。この映画には消化器系の患者さんが出てきますが、当院のように精神科における認知症病棟に入院している患者さんの苦しみとは違うように思います。認知症の患者さんは、自分の年齢が分からなくなります。今日何日か分からなくなります。毎日家族が会いに行ったとしても、来たことを忘れています。家族は、以前の姿を知っているので、そのギャップに苦しみ悲しみます。コミュニケーションがスムーズにできることは、認知症の家族をもって初めて、幸せなことだったと気づきます。家族は、老いの意味を知ります。家族は悲しむのですが、患者さんにとっては、自分の役割がなくなり、仕事がなくなり、自分の存在意義が不明確になった悲しみを「忘れる」ということで自己防衛しているのかも知れません。それでも、家族は一緒に共に過ごした記憶の引き出しから、共感できる時間を作り出そうと努力します。わずかな時間に、甦った記憶を元に会話を楽しみ、一緒に過ごした時間に感謝をします。患者さんと関わる看護師の対応は、患者さんの心の安定にどれだけ影響を与えることでしょう。緩やかに流れる最期の時間が少しでも穏やかであるように、祈りにも似た気持ちで接しています。

医師夏川草介さんの小説ですが、患者さんにとっての幸せって何だろうと考えるきっかけを与えてくれた映画でした。時間があったら、是非見に行ってください。ちなみに、夏川草介という名前はどっかで聞いたことがあるなあ・・・と思っていたら、某総合病院の院長先生のお名前から取ったと知りました。縁のある映画を見させていただきました。

映画『神様のカルテ』1映画『神様のカルテ』2

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