愛するということ

祖父母の家には『愛ちゃん』と言う名のチワワ犬がいます。
仕事を終え、立ち寄って帰るのですが、その時間が近づくと、いそいそし始めて、玄関前で私が来るのをじっと待っていると聞いています。名前の如く愛溢れる、愛らしいつぶらな瞳の犬で飛び跳ねたり、回ったり、ひっくり返ったり、あの手この手で積極的に関わろうとするので、私が疲れを忘れてしまうほど、10分間の愛情表現をたっぷりいただくことになります。人間で言うと、2~3歳児くらいのレベルで言葉を理解しているようにさえ思えます。多動で落ち着きがないところが魅力の一つで、自由に走り回れて幸せ、人間にかまってもらえて幸せと言わんばかりに、エネルギーを発散するので、愛すべき家族の一員としてしっかりと存在感を確保したようです。ただ、愛ちゃんへの関心が薄れ、話に夢中になっていると、わざと危なっかしいことをして注意を引きつけるので、犬にも嫉妬心の芽生えがあるのを知りました。子育ての時期に、(親としてはどちらも平等に愛しているつもりなのですが)どちらが多く親の愛を獲得するか必死になって表現していたことを懐かしく思い出しました。家族の中では、パイの取り合いをするのではなく、一人がよければ、それは家族にとっての喜びになるような文化を意図して創っていく必要があるかもしれません。子供が生まれたら、すぐに親になれるのではなく、子供によって親に成長させてもらったというのが、実感です。未熟な自分が何とかここまで成長できたのも、結婚し家庭を持ち、子育てを通しての恩恵も大きかったと感謝している次第です。犬の愛ちゃんの姿を通じて、大切なことを思い出せていい一日でした。

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